ARS書店『ジョセフイン・べーカー公演』Josephine 高品質 Bakerパンフ・べーカー署名有り1954年/主催.エリザベス・サンダーホーム・後援.毎日新聞

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 『ジョセフイン・ベーカー公演』     Josephine Baker  見返しに・Josephine Baker直筆ペンサイン&メッセージ有り
※・日本人:知人にメッセージ有り【マサハシ】?正橋・政橋・??・・・
☆『ジョセフイン・ぺーカー公演』 4月25日~29日・東京都・帝国劇場 ・編者:エリザベス・サンダーホーム?・写真図版多数 ・1954年4月・12頁・:非売品・約:A4判 ・本の状態:表紙経年の汚れ傷み有り・本文は普通?? ・発行:エリザベス・サンダーホーム・後援:毎日新聞社
☆・1954年4月11日にエールフランス機でパリを出発。4月13日午後8時半に羽田空港に到着し、来日を果たした。 4月19日長崎市、4月20日佐世保市、4月21日福岡市、4月22日名古屋市と各地でのコンサートに出演。4月23日、 広島市で公演。原爆死没者慰霊碑に参拝[。4月25日から29日まで東京都・帝国劇場、 5月1日には京都の弥栄会館で公演を行い人気を博した。 また、5月2日から3日まで宝塚大劇場でも公演を行った。
☆・ジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker、 1906年 ~1975年)アメリカ・セントルイス出身のジャズ歌手・女優である。 フランス語読みで「ジョゼフィーヌ・バケル」とも呼ばれる。 生まれたときの名前は、フリーダ・ジョセフィン・マクドナルド(Freda Josephine McDonald)。 1937年、フランス国籍を取得している。「黒いヴィーナス」の異名をとった。☆・ジョセフィンは、ユダヤ系スペイン人のドラマー、エディー・カーソン(Eddie Carson)と アフリカ系アメリカ人の洗濯婦のキャリー・マクドナルド(Carrie McDonald)との間の私生児として、 ミズーリ州セイントルイスで生まれた。 彼女は、非常に貧しい環境の中で育つ。1917年7月2日、彼女はセイントルイスで人種差別を経験して、 これが彼女が後に人種差別撤廃運動に熱心に肩入れする背景となる。13歳で、母親によってかなり年配の黒人男性と 結婚させられるが、数週間しか結婚生活は続かなかった。そのあと家出。 1921年、彼女は鉄道車掌の黒人ウィリー・ベイカー(Willie Baker)と結婚し、1925年に離婚するが、 この苗字を彼女はその後もしばらくの間使用している。
レビューに出演していた頃の写真(1927年)彼女のキャリアは、16歳でフィラデルフィアのスタンダード劇場でのデビューから始まる。その後すぐニューヨークに行き、ちょうど半年間アメリカを巡業していたボードビル・グループに参加。1923年-1924年、ニューヨークのでミュージカルコメディ「シャッフル・アロング(Shuffle Along)」でコーラスガールの役を得た後、黒人のレビューグループ、チョコレート・ダンディーズ(The Cholocate Dandies)のメンバーとなる。ニューヨークのプランテーション・クラブに出演した後、1925年10月2日、パリのシャンゼリゼ劇場に出ていた「レビュー・ネグロ(黒人レビュー)」に加わることになる。このダンスで彼女は、初めてチャールストンを目の当たりにしたパリの観客をたちまち虜にしてしまう。舞踏ジャーナリストのアンドレ・ルヴァンソン(Andr Levinson)は、「ジョセフィンは、不恰好な黒人のダンサーだと思ったらとんでもない間違いで、彼女こそ詩人ボードレールが夢に見た褐色の女神」と熱狂して賛辞を送り[1]、アーネスト・ヘミングウェイは「これまで見たことのある最もセンセイショナルな女性」と称えた[2]。レビュー・ネグロは、さらにブリュッセル、ベルリンでも公演を行い、ドイツではベルリンのクァフュルステンダムのネルソン劇場で1926年1月14日にドイツでの初演を行っている。1926年から1927年、彼女はまさにフォリー・ベルジェール劇場のスターだった。彼女はルイ・ケーナシャンの2つのレビューに出演、バナナを腰の周りにぶら下げただけという有名な衣装で踊った。1926年の末にベイカーは、それまでベイカーのショーの美術を手伝っていたシチリアの石工ジュゼッペ・ペピート・アバティーノ(Giuseppe Pepito Abatino)と結婚して、世間の話題を一身に集める。アバティーノは「ディ・アルベルティーニ」と自称していたが、ベイカーの恋人兼マネージャーの役についていた。ジョゼフィン・ベーカー改め「ジョゼフィーヌ・ディ・アルベルティーニ」となったベイカーは、最初にヨーロッパの貴族としての名を持ったアフリカ系アメリカ人女性ということになった。当時ベイカーは、ラングストン・ヒューズやパブロ・ピカソ、アーネスト・ヘミングウェイなど同時代の作家、画家、彫刻家にとっての美の女神、大衆にとってのセックス・シンボルとなった。想像を超えたエロティックな衣装と踊りのために、ベイカーはウィーン、プラハ、ブダペスト、そしてミュンヘンの劇場で出演を禁止されてしまう。それほどまでにベイカーはセンセイショナルな存在になったのである。
アルジェリアのオランにて(1943年)また、建築家のアドルフ・ロースは、1928年にベイカーのために白黒の大理石の正面玄関を持つ家を設計したが、それは実際に建築するまでには至らなかった。東ヨーロッパと南アメリカ公演旅行の後、ベイカーは今度は歌手としてもデビューを果たす。「二つの愛」(J"ai deux amoures)、「ハイチ」(Haiti)、「かわいいトンキン娘」(La Petite Tonkinoise)、「かわいいベイビー」(Pretty Little Baby)は、彼女の最も成功した歌である。彼女は映画にも出演し、「南海の女王」(La Sirne des Tropiques、1927年)、「はだかの女王」(Zouzou、1934年)、 そして「タムタム姫」(Princesse Tam-Tam、1935年)で主演をしている。


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